「モンジュイックの丘」で決着!
有森・森下 日本は男女で銀メダル獲得!
「こけちゃいました」の流行語も誕生!
1992年 バルセロナ・五輪(スペイン)
情熱の国スペインで開催されたバルセロナ・五輪は、大会期間中灼熱の太陽が降り注ぐ厳しい大会になった。女子10km競歩が初めて採用され、ソビエト連邦の崩壊に伴うEUNの参加などが話題になった。男子400mHのワッツ、男子4×100mリレー、男子4×400mリレーと3種目で世界新記録を樹立し、カール・ルイス(アメリカ)が走り幅跳びで五輪3連覇を達成するなど、アメリカ勢の活躍が目立った。
日本勢は、男子マラソンで森下広一が銀メダル、中山竹通が4位、谷口浩美も8位とトリプル入賞。女子マラソンでは有森裕子が銀メダル、山下佐知子が4位入賞とマラソン陣は戦後最高の成績を収めた。他種目では、4×100mリレーが6位、女子走り高跳びの佐藤恵が7位、400mの高野進が8位とトラック3種目で入賞を果たした。大会後は、男女マラソンでのメダル獲得に、流行語まで誕生するかつてない異例の盛り上がりを見せた。
8月1日午後6時30分スタートの女子。スタート直後に小鴨が単独で飛び出すが、3km過ぎに集団に吸収される。5km18分前後のスローペースでレースは進むが、15kmを過ぎて小鴨が集団から遅れ始める。レースが動いたのは20km。ビクタギロワ(EUN)が飛び出し、その後をエゴロワ(EUN)とマシャド(ポルトガル)が追走。日本人は後方の集団で前を伺う。30kmで有森とモラー(ニュージーランド)が4位集団から抜け出す。先頭との50秒差を猛追し、35kmで有森が2位に上がり、モラーとビクタギロワは3位争いを展開する。マシャドは上位争いから遅れ始める。有森は36kmで先頭のエゴロワに追いつくと40kmまでデッドヒートを展開。勝負が決したのは40kmを過ぎた五輪スタジアムの手前。エゴロワがスパートして金メダルを獲得した。有森は日本女子陸上で64年ぶりとなる銀メダルを獲得した。トラックまでもつれた3位争いはモラーが制して銅メダルを獲得した。
日本勢は、後方集団で主導権を握っていた山下が39kmを過ぎて集団から抜け出し5位でゴールしたが、4位でゴールしたビクタギロワがドーピング検査で失格となり、4位に繰り上がった。小鴨は体調を崩しており、15km過ぎからペースダウン。30番目にゴール後は医務室に運ばれた。
男子は8月9日午後6時半スタート。女子同様5km16分前後のスローペースでレースは進んだ。22.5kmの給水で谷口が踵を踏まれシューズが脱げるアクシデントがあり、30人以上いた集団が少しずつばらけていく。26kmで黄永祚、金在龍の韓国勢と、森下の3人が集団から抜け出す。中山は4位集団、谷口は後方から追い上げを図る。先頭は10km近く3人のデッドヒートが続き、36kmから黄と森下の一騎打ちになる。しかし、40kmの下り坂で黄が一瞬のスキを突きスパートすると勝負が決した。黄は韓国マラソン界に初の金メダルをもたらし、森下は日本マラソン界に24年ぶりの銀メダルをもたらした。3位争いは、中山とフライガング(ドイツ)がデッドヒート。最終コーナーで振り切ったフライガングが銅メダルを獲得した。
奇しくも、男女共に40km付近の「モンジュイックの丘」が勝負のポイントになった。
日本勢は、第2集団から順位を上げた中山がトラック勝負の末に2大会連続の4位でゴール。谷口は後半に持ち直して8位入賞までこぎつけた。日本人3選手入賞は、1963年ベルリン五輪の棒高跳び以来56年ぶりの快挙であった。ゴール後のインタビューで谷口が発した「こけちゃいました」は流行語にもなった。
Result
女子 8月1日
1位 V.エゴロワ(EUN)
2.32.41
2位 有森裕子(リクルート)
2.32.49
3位 L.モラー(ニュージーランド)
2.33.59
4位 山下佐知子(京セラ)
2.36.26 ※
5位 K.ドーレ(ドイツ)
2.36.48 ※
6位 文 敬愛(北朝鮮)
2.37.03 ※
7位 M.マシャド(ポルトガル)
2.38.22 ※
8位 R.ブラングロワ(EUN)
2.38.46 ※
29位 小鴨由水(ダイハツ)
2.58.18 ※
※は順位が繰り上がったもの。
男子 8月9日
1位 黄 永祚(韓国)
2.13.23
2位 森下広一(旭化成)
2.13.45
3位 S.フライガング(ドイツ)
2.14.00
4位 中山竹通(ダイエー)
2.14.02
5位 S.ベッティオル(イタリア)
2.14.15
6位 S.コカイシュ(モロッコ)
2.14.25
7位 J.フルク(ポーランド)
2.14.32
8位 谷口浩美(旭化成)
2.14.42
解説 EUN(統一チーム)
ソビエト連邦の崩壊に伴い、暫定処置としてバルト3国を除く旧ソ連邦12か国が統一チーム「EUN」としてオリンピックに参加することとなった。入賞者には「EUN−RUSSIA」というように、独立国をうしろにつけ、表彰式の旗と国歌はオリンピックのものを使った。日本では「CIS(独立国家共同体)」として報道されたが、未加盟国があったため正式には「EUN」を使っている。