マラソンの由来
1896年「近代オリンピック」大会を開催するにあたって、フランスのクーベルタン男爵は呼び物となる競技を検討していました。
そこで考え出されたのが新しい競技「マラソン」でした。
マラソンというのは、アテネから約39km北にある平原の名前で、ギリシャ語では「マラトン」と発音します。
ギリシャの歴史家ヘロドトスが書いた「歴史」という本によれば、紀元前490年、10万ものペルシャ軍がギリシャに侵入しようと海を渡りました。
ギリシャ軍は劣勢の中、マラソン平原でペルシャ軍を破りました。
勝利をアテネ市民に伝えるため、フィディピディスという若い兵士がアテネまで走り、「われ勝てり」と叫んで息絶えたといわれています。
こうした故事にちなんでマラソン競技がスタートしました。
つまり、マラソンとはオリンピックのために考え出された競技で、初の世界大会はオリンピックだったということです。
このことから、マラソンはオリンピックの最終種目として実施されることが伝統とされました。
過去には閉会式の最中にゴールすることや、閉会式の最中にメダル授与式が行われたこともありました。
ちなみに、第1回のアテネ・五輪では、地元ギリシャのルイス選手が2時間58分50秒(約37km)で初代チャンピオンに輝いています。
五輪の翌年、1897年4月19日にはマラソンの強化と普及のため、ボストン郊外で24.7マイル(39.75km)のマラソン競走が行われました。
これが世界一古い市民マラソンと言われる、ボストンマラソンの起源です。
1900年の第2回パリ・五輪では、マラソンは25マイル(約40.5km)の距離でレースを行いました。
しかし、1904年の第3回セントルイス・五輪では、距離の基準がマイルからメートルに変更されたため、40kmの距離で行われました。
1908年の第4回ロンドン・五輪では、当初25マイルの距離が予定されていましたが、皇族の居城であるウインザー城をスタートして競技場までの26マイルと、競技場内でロイヤルボックス前を通るため、競技場を3分の2周(385ヤード)走りました。
この時設定された26マイル385ヤードを変換すると42.195kmです。
さらに、1912年の第5回ストックホルム・五輪では40.2km、1920年の第7回アントワープ・五輪では40.75kmで開催されましたが、距離についてのルールはなく、第1回アテネ・五輪のあとマラソンは大会ごとに距離が異なりました。
1913年に国際陸上競技連盟が発足し、各種目のルール作りを進めていたところ、1924年の第8回パリ・五輪からマラソンは42.195kmを正式な距離とすることが決められました。
一方、日本はどうだったでしょうか。
きっかけは1908年のロンドン・五輪。
観戦していた大阪毎日新聞の部長がマラソンに感動したことで、日本にもマラソンをとの機運が高まり、1909年3月21日、日本初のマラソン大会「マラソン大競走大会」が神戸で行われました。日本で初めて「マラソン」の言葉を使った大会です。
距離は20マイル(約32キロ)で行われ、書類選考を突破した20名が参加し大会は大成功しましたが、なぜかその後大会は行われませんでした。
今では神戸市役所前に「日本マラソン発祥の地」の記念碑が唯一の名残となっています。
その後は、金栗四三らによって各地でマラソン大会が開かれるようになっていき、金栗は「日本マラソンの父」と呼ばれるようになりました。
今やお正月の風物詩である「箱根駅伝」も金栗らの尽力でスタートした大会のひとつです。
しかし、長い間マラソンは男子が行うもので、女子のマラソン参加は禁止されていました。
その間にも女性が変装してマラソンを走る事件(?)がたびたび起こりました。
マラソンを女性で世界初完走した人は、正式記録として残っていないため諸説ありますが、隠れて走ったということだけは事実のようです。
時は流れ、女性もマラソンを走りたいという機運が高まり、世界初の女子単独マラソンとして1978年にアメリカのアトランタで「国際女子マラソン」が行われました。
日本でも、1978年に東京都東大和市と埼玉県所沢市にまたがる多摩湖の湖畔で行われた市民マラソンが、日本初の女子単独マラソンと言われており、湖畔には「日本女子マラソン発祥の地」の記念碑が立っています。
さらに、1979年には世界初の国際陸上競技連盟公認大会として「東京国際女子マラソン」がスタートし、1984年のロサンゼルス・五輪から女子マラソンが正式種目として採用されるようになりました。
2000年代になると、女子単独のマラソンは徐々になくなり、世界大会を除き男女同時スタートが世界的な主流となりました。
2024年のパリ・五輪では、オリンピック史上初めて男子マラソンが先に開催され、女子マラソンが最終種目となりました。