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1988-M09 |
1980年、1984年、1988年 五輪代表 |
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せこ としひこ |
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瀬古 利彦 |
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必殺のラストスパートを放つ「日本史上最強ランナー」 |
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エスビー食品 |
四日市工高(三重)− 早稲田大− エスビー食品 |
13.24.29 日本記録 27.42.17 日本記録 |
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1956年生 |
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伝家の宝刀・ラストスパートを武器に無類の勝負強さを誇り、現役時代は「世界最強」とも噂された、「日本マラソン史上最強」とも言われるランナー。中学時代は野球部だったが高校入学後に陸上部に入ると、インターハイの800mと1500mで2年連続2冠に輝き、スター選手として注目を浴びるようになった。1年の浪人を経て早稲田大学に入学後はトラックや箱根駅伝で大活躍し、陸上関係者だけでなく一般的にも知られるようになる。大学4年時の福岡国際で学生最高記録を樹立して優勝すると、以降は福岡国際3連覇を始め、ボストン・シカゴと世界のメジャーマラソンを制覇した。日本人で初めて2時間8分台を記録したほか、トラックでも日本記録を樹立し、1時間走の世界記録を保持していた。絶頂期にあった1980年のモスクワ・五輪を日本のボイコットで逃すと、五輪では実力を発揮できなかった。 1980年のモスクワ・五輪では、代表に選出されていたが日本が出場をボイコットしたため、幻の五輪代表になってしまった。 1984年のロサンゼルス・五輪では、金メダルを目指して先頭集団でレースを進めたが、32kmを過ぎて先頭集団から遅れ始めてしまった。終盤はペースを上げられずに徐々に順位を落としてしまい、14位でゴールを迎えた。 1988年のソウル・五輪では、先頭集団でレースを進め、上位進出を狙っていた。30kmで中山のペースアップに付けず先頭集団から遅れると、終盤はややペースを落として順位を落としてしまい、9位でゴールを迎えた。 |
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1977. 2.13 京都 2.26.00 10位 1977.12. 4 福岡国際 2.15.00 5位 1978.12. 3 福岡国際 2.10.21 1位 日本歴代2位・日本学生最高・世界歴代10位 1979. 4.16 ボストン 2.10.12 2位 日本歴代2位・日本学生最高・世界歴代9位 1979.12. 2 福岡国際 2.10.35 1位 1980.12. 7 福岡国際 2.09.45 1位 日本歴代2位・世界歴代8位 1981. 4.20 ボストン 2.09.26 1位 日本歴代2位・世界歴代5位 1983. 2.13 東京国際 2.08.38 1位 日本最高記録・世界歴代4位 1983.12. 4 福岡国際 2.08.52 1位 1984. 8.12 ロサンゼルス・五輪 2.14.13 14位 1986. 4.20 ロンドン 2.10.02 1位 1986.10.26 シカゴ 2.08.27 1位 日本歴代4位・世界歴代10位 1987. 4.20 ボストン 2.11.50 1位 1988. 3.13 びわ湖 2.12.41 1位 1988.10. 2 ソウル・五輪 2.13.41 9位 |
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