1972-M36

1972年 ミュンヘン・五輪 36位

うねたに よしあき

采谷 義秋

教員で五輪に出場した「タフガイ先生」

広島県教育委員会

広島電機高−

日体大−高校教員

1944年生

実業団に所属せず高校教員として五輪に出場し、30回のフルマラソン歴から「タフガイ先生」と呼ばれた異色のランナー。中学から長距離を始め、高校時代は全国高校駅伝で4区区間賞を獲得した。大学時代には箱根駅伝に出場しながら初マラソンを経験すると、卒業後は高校の教員として勤務。コーチや練習パートナーを置かず、工夫しながら1人で練習を積み成績を残した。1968年の国際で日本歴代7位の好タイムを叩き出すと、1968年の別府でも好走。五輪代表候補に挙がるが、大激論の末に代表入りは叶わず「悲運のランナー」とも呼ばれた。1969年にはボストンを大会新記録で優勝するなど好成績を残し、五輪代表の座を勝ち取った。実業団からの誘いも多くあったが、生徒のためにと教員のまま走り続けた、元祖・最強の市民ランナーでもある。

1972年のミュンヘン・五輪では、後半勝負を考えて前半は第3集団でレースを進めたが、なかなかレースの流れに乗れず、順位を上げることができないまま36位でゴールした。

1964. 4.10 福井       2.26.03 1位

1965. 1.15 愛媛       2.28.55 5位

1965. 4.11 福井       2.25.01 2位

1965.10.10 朝日国際     2.33.55 21位

1966. 2.13 別府大分     2.28.58 33位

1966. 3.21 延岡西日本    2.21.58 1位

1966. 5.15 関東インカレ   2.31.54 6位

1966. 9.25 東日本      2.28.48 7位

1967. 1.15 松山       2.36.11 12位

1967. 5.14 毎日       2.30.15 6位

1967. 9.15 玉造       2.23.48 1位

1967.12. 3 国際       2.14.49 6位 日本歴代7位

1968. 2. 4 別府大分     2.15.22 2位

1968. 4.14 毎日       2.14.24 2位 日本歴代7位

1968. 9.22 東日本      2.18.46 1位

1968.12. 8 国際       2.12.41 2位 日本歴代3位

1969. 2. 2 別府大分     2.17.38 2位

1969. 4.21 ボストン     2.13.49 1位

1969. 7.20 マンチェスター  2.19.37 4位

1969.12. 7 国際       2.22.28 29位

1970. 4.12 毎日       2.14.19 2位

1970. 8.23 マンチェスター  2.16.00 2位

1970.12. 6 国際       2.12.12 3位 日本歴代5位

1971. 3.21 毎日       2.16.45 1位

1971. 4.11 福井       2.19.28 1位

1971. 9.12 ミュンヘン    2.23.29 7位

1971.12. 5 国際       2.25.41 19位

1972. 3.19 毎日       2.22.48 3位

1972. 9.10 ミュンヘン・五輪 2.25.59 36位

1973. 2. 4 京都       2.18.20 2位

1973. 3.18 毎日       2.15.53 3位