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1960-M31 |
1956メルボルン・五輪、1960ローマ・五輪 代表 |
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ひろしま くらお |
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広島 庫夫 |
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パワフルな走りで日本最高記録を3回更新した「重戦車」 |
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旭化成 |
高等小学校− 海軍防府通信学校− 旭化成 |
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1928年生 |
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旭化成陸上部の黎明期にマラソンで活躍し、全盛期には県知事よりも知名度が高いと言われた名ランナー。日本人離れしたがっちりした体型でパワフルな走りが特徴で「重戦車」と呼ばれた。17歳で通信兵としてフィリピンの戦線に出兵。復員後に近所を走り回っているうちにスタミナが付き陸上の道へ入ったという変わり種。1949年の九州選手権5000mで優勝し東京国体で2位に入ったことで、旭化成からスカウトされて入社。1952年の朝日で初マラソンながら5位入賞を果たすと、1955年の毎日では戦前から残る日本最高記録を20年ぶりに更新。同年12月の福岡国際では39km付近で沿道に飛び出した観客をよけている間にスパートされて2位に敗れたが、再度日本最高記録を樹立した。生涯で日本最高記録を3回記録し、国内のビッグレースでの優勝は7回、全国クラスの大会出場は83回に及ぶ。五輪は1956年メルボルンと1960年ローマの2回出場した。 1956年のメルボルン・五輪では、肉離れをしている中でスタート。思うようにペースを上げられず、最後は這うようにして33位で完走だけは果たした。 1960年のローマ・五輪では、周囲のハイペースに付いていけず、後半も順位を上げることなく31位でゴールした。 |
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主なマラソン成績 1952.12. 朝日 2.32.41 5位 1953.10. 日本選手権 2.39.23 1位 1953. 4.20 ボストン ? 8位 1953.12. 6 朝日 2.28.07 2位 1954.12. 5 国際 2.35.12 10位 1955. 2.12 別府大分 ? 4位 1955. 5. 8 毎日 2.26.32 1位 日本最高 1955.12.11 朝日国際 2.23.51 2位 日本最高 1956. 2.12 別府大分 2.26.24 1位 1956.12. 1 メルボルン・五輪 3.04.18 33位 1957. 中日 2.28.53 2位 1957. 5. 3 毎日 2.31.26 1位 1957. 日本選手権 2.29.44 2位 1957.12. 1 朝日国際 2.21.40 1位 日本最高 1958. 2.10 別府大分 2.25.16 1位 1958. 5.11 毎日 2.33.01 3位 1958.12. 7 朝日国際 ? 1959. 5.10 毎日 2.30.06 1位 1959. 2. 8 別府大分 2.25.30 3位 1959.11. 8 朝日国際 2.29.34 1位 1960. 9.10 ローマ・五輪 2.29.40 31位 |
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